長雨の続くこの季節になると思い出すことがある。
 今年卒業してしまった先輩との会話。
 本当に小さなことで、多分先輩も覚えていないだろう。それくらい、些細な内容だった。でも僕には忘れられない、大切な想い出だ。
 あれは去年の梅雨。
 いつものメンバーが集まる部屋で、僕は窓の外の止まない雨を眺めていた。

 放課後、ちょっとした用事を終わらせてから部屋に行くとまだ誰もいなかった。
 すぐ誰か来るだろう。そう思いながら僕は適当な席に腰を下ろすと、机に頬杖を付きながら灰色の空から落ちてくる水滴を眺める。
 音もなく降り続ける雨が心を揺らしていく。
 雨は、嫌いだ。
 いつもは思い出さないようにしている過去の忌まわしい記憶が、雨のカーテンに映し出される。
 けれども僕は表情を変えることも溜め息を吐くこともせずに、その光景を眺め続けていた。
 カチャ。扉の開く音に顔を上げて入り口へ視線を向ける。

「あら。神谷君だけ?」

 入室してきたのは海白先輩だった。

「ええ、僕が来たときには誰もいませんでした。でももうすぐ賑やかになりますよ」

 今まで纏(まと)っていた雰囲気を振り払いながら身体を起こす。
 鞄を近くの机に置くと先輩は窓に近付きながら
「何を見ていたの?」
 と尋ねた。答えに詰まる僕を気にする様子もなく質問を続けた。

「雨、好き?」

 彼女は窓の外のどんよりと垂れ込める灰色の雲を、じっと見ている。口元に浮かんだ小さな笑みが不思議だった。

「……いえ」

 弱々しく否定をすると「そう」と返事が返ってくる。その、肯定の返事を期待していなかったような響きの意味は次の言葉で明らかになった。

「まぁね。じめじめしているし、この時期の雨はいつ止むんだ、って言いたくなるくらい長いしね。私だって太陽が恋しくなるわ」

 でも。そう言って僕を見る。

「私は雨が好きよ。雨が上がって太陽の光が雲の隙間から覗いた時なんて、特にそう思うわ。だって、その風景は雨上がりにしか見られないんだもの」

 雨が降っていたからその素晴らしさに出会える。
「なんて、ちょっと格好つけすぎかしら」と笑う海白先輩は僕の過去を知らない。それなのに、僕が抱えていた痛みを和らげてしまった。
 あの辛い経験があったからこそ、今こうして皆と出会えた事が幸せなのだと判る。
 椅子から立ち上がると、窓辺に歩み寄り灰色の空を見上げた。

「……僕も雨が嫌いじゃなくなりそうです。先輩のお陰で」

 少し驚いたように僕を見つめた先輩はどう答えたらいいのか困った表情で「そうなの。それは良かったわね」と口にする。薄く笑みを浮かべた僕が「はい」と答えると賑やかに扉が開いて僕の親友とクラスメイト達が姿を現した。

 先輩との他愛ない会話はそれでおしまい。
 このことがきっかけで僕が密かに恋心を抱いたなんてことは、あの人は知らないだろう。
 でもその淡い想いが叶うことなど無いことを僕は知っていた。彼女は僕も一目置く先輩と付き合っていたから。
 後で知ったことだが、海白先輩が雨を好きなのにはもう一つ理由があった。
 前の彼氏に振られて落ち込んでいた時、救ってくれた男性と付き合うきっかけになった時にも雨が降っていたかららしい。その男性とは、もちろん今の彼氏だ。
 海白先輩が振られた時、もし僕があの人よりも先に彼女に出会っていたら。
 もしも恋心を抱いたのがもっと早かったなら。
 時々思うifの夢。
 叶わないと知っていても雨を見ると頭を過(よぎ)る。
 傘の中、僕は空を見上げて呟いた。

「海白先輩。僕はまだ雨が好きになれそうもありません。でも先輩の言葉があったから今の自分があるのだとも思えるんです。ですから――」

 お礼を胸の中だけに留める。
 雨が好きだと先輩のように言えるようになった時、伝えたいと思う。
 視線を正面に向けると僕は傘が奏でる雨音を聞きながら帰路についた。

END

紫陽花|桜左近

リンク作品【雨上がり】

 




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インディーズ小説家。橘右近の相方=心の友です。ファン第一号